「数を求めるか、質を求めるか?」生徒さんに選ばれるスクールとは?
AIを勉強し始めて気づいたこと。
今日は、AIを勉強する中で、ふと気づいたことを書いてみたいと思いました。
ここ最近、グーグルの広告があまり効果を発揮していなので、少々いらだっていたのですが、広告に注力しすぎて、ブログがさぼり気味だったことを反省しました。
又、今別でAIの勉強をしているのですが、これが実に面白くて、特に自分に「合っている」と思えるので、とても心地いい作業だと思って続けています。
ふと思ったのが、AIを使える人が増えると、ミスマッチが少なくなるのではないか?と言う期待を感じました。
実は、AIにお願い事をするとき(学習させるとき)、どうやったらわかりやすいか、あるいは、どうやったら自分の目的に近い回答が引き出せるかを常に考えるのですが、これは私が普段やっていることと何も変わらないので苦痛が全くないのです。主人から言われたのは、「むしろ逆の作業じゃない?生徒さんには、直接的な表現は避けないといけないことの方が多いけど、AIの場合、むしろ直接的な表現をしないと伝わらないことも多いし」という事でしたが、正直脳内で考えていることは同じなのです。
私→生徒さん=直接的な表現すぎない様、伝えるにしても、結果が伴わないと意味がないので、直接的な表現で言うと、何を言いたいのかは常に頭にある。
私→AI =直接的な表現で、こちらの要望に応えてもらうために、より丁寧に、詳細に、伝える必要がある。(上部の作業の「直接的な表現になりすぎない様にする」と言う気づかいが不要。その代わり、以前の学習履歴から、こちら側が答えを予測できるようになったら、又別の表現を探そうとするので結果やっていることは同じ。になるのである。
昔聞いた「何を習うかよりも、誰に習うか」が大事、は正解な気がしている。
私が上京してきた2010年。今から15年前。この表題にある様に、「誰に習うかが大事」だ。と言ったスクールオーナーがいました。
その方は、レコーディングエンジニアでありながら、ボイトレスクールを並行して行っている方でした。
その方が何度もそういうので、耳に残っていました。でも、凄いと思います。「何を習うかではなく、誰に習うか。」これ、15年前にわかっているというのがすごすぎます。何故なら、これからが本当に「その」時代になるからです。
AIで色々な事が出来るようになると、今まで出来なかったことが誰に習わなくても出来るようになる人が増えてきます。
だからこそ、それ以外の「どうしても自分では補えない部分」を聴ける貴重な人を探そう。と思うわけです。
ちなみに、また別のブログでも書こうと思っているのですが、声の仕事をしたり、表現の仕事をする人は、やはりある意味「ちょっとナルシストな部分」があった方が良いと思うのです。
と言うよりも、過去色々な方を見てきたとこに、圧倒的に、インプットを大量にして、ノウハウを完璧に自分の物に出来た。と思ってから、自分の結果や、道を見つけようと思った時には、
自分の強みだったり、個性だったり、ある意味見いだせなくなっていたり、お手本となり得る人を見すぎて、自分がその基準に達していないだとか、なんだかんだ迷子になっている人を死ぬほど見てきました。
そして、インプットばかりしてアウトプットが足りていない方は、ナルシストの部分が極端に足りないことがわかっています。
8割はったり、2割真剣。と私は自分をそう表現していますが、その8割のハッタリの中にはナルシストが沢山詰まっています。又それを「うまい」「下手」だとジャッジをすると、結果は惨敗です。「なんかいいじゃん!」が一番良いのです。
そして私がこんな感じなので、私の所にいらっしゃる方は、常に前向きで、新しい事を始める方が多いです。年々そうなって来ています。特許を申請するような方もいたりして、めちゃめちゃ面白いです。
そして、私自身、そういう皆さんと接していると、やはりそこにやりがいを感じるので、あえて目標も目的値も違う、または、「この方は別にうちのレッスンじゃない方が良いのにな」と思う方に頑張って絶対入ってね!という気持ちは無くなるのです。
なので、AIを使える方が増えてくると、「目利き」が増えてきて、今私がこうやってブログに書いているようなことに共鳴してくださる方が増えるのでは?と期待しているのです。
