芸事で飯を食べていく人の自己肯定感。
なかなかこの手の内容は家族等が見るSNS等には書きづらいものです。
私は長年この、ボイストレーナーという仕事を通じて、色々ケースを経験してきました。
幸い、大きなトラブルに見舞われた経験はなく、生徒さん方に見守られながら楽しく過ごして居ます。
私が本日ふと思い出したのは、私自身がピアノのレッスンを受けていた時の事でした。
音大を目指した人や、受けてきた人にとっては
レッスン中に泣く、という行為はある意味珍しくない事です。特に音大受験は戦争です。
今はどうか分かりませんが、歌の声やピアノの技術に点数がつき、ライバルと一緒に成長したり、ライバルを追い抜いたり、人がどれだけ練習しているか気になったり。そんな、なかなかに独特な世界の中、
私は後にも先にも1度だけ号泣したことがあります。
ただの1度だけです。
そして、その一言は先生にとっては何気ない一言で、
周りの人が見ても、え?どうして?
と思うほどのたわいのない会話です。
今思うと、自分の中で唯一誇っていたものを勝手に否定されてしまったような独りよがりの考えで傷ついただけでした。
では、何故その様なことになってしまうのか。
皆さんに知って頂きたいのは、世の中には自分の言う事を全部聞いて、いい子で居させるために子供の自尊心を根こそぎ刈り取ってしまう親御さんが居ます。
私自身がその環境の中に身を置き、経済力という自分ではまだ何も出来ない無力の中、自分としての主張を真っ向から通さず、無難に毎日を過ごす。という生き方をしてきました。
ここで、強いられた。とあえて書かないのは自分が選択したからです。
もちろん、その選択が間違いだったとも思いません。
私は実に賢く生きてきたと思います。
ただ、この時、自分が本当にやりたい事。に関しては、絶対的な軸を持つ。諦めるか諦めないかのLINEまで自分を試す。
ということが出来なかった自分は少し勿体なかったかな?と思います。
私もよく、(どうしてそんなにポジティブなんですか?)
と聞かれますが、意識してポジティブになった訳ではなく、私はすごく運良く自分の楽しみを見つけられたんだと思います。自分が作ったホームページにお客さんが来てくれて、はじめましてで出会って、一期一会で楽しくて。
勿論、失敗も色々ありましたが、全てが必要なことでした。
芸術、私が関わっているナレーターさんや声優さんも全て含め、ご自身の声や、セリフの言い回しや、マーケティング力や、営業力や、キャラクター性。
私はこれを全てひっくるめて芸事と呼びますが、
その方の財産です。
私がレッスン内であえて技術的な話しかしないのもそのためで、軸の部分はご自身が気づいて持たなくてはなりません!
皆さん、レッツトライです!
応援お願いします
にほんブログ村